2022年09月29日

日中国交正常化50周年

日中国交正常化50周年

日中国交正常化50周年で、テレビ等で斜め読みならぬ、斜め観をしてますが、各メディアの報道の仕方に差があって興味深いです。
あるメディアは、反日感情に焦点を合せ、やたらに過去、日本が中国にしてきたこと、特に南京大虐殺のことを大々的に紹介してました。
ところで、南京大虐殺は有った?? or 無かった??
ワタシは正直分からないです。
できれば、30万人を殺戮したというのがウソであってほしい派です。
以下、ネットで見つけた資料。

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テレビが言わない真実が知りたい
横尾 裕和

この8月15日を終戦の日としているのは、日本だけなのです。
1945年8月15日この日、昭和天皇による終戦の詔勅(玉音放送)がNHK第一放送を通じて日本中に、音読放送が流され、日本の全ての陸・海軍が武装解除したのです。
世界的には、米戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書に調印した、9月2日を日本の終戦の日としている国が多く、中華民国や中華人民共和国などは、9月3日としています。
その中国(当時は中華民国)における、南京事件(虐殺)ですが、近年では日本でもそれを疑問視する声も多くなっているように思います。
証拠とされた143枚の写真は、専門家チームの検証の結果、偽造や、無関係の写真であり、虐殺を証明する写真は一枚もなかったとされ、当時南京には多くの欧米人も住んでいて、世界中のマスコミが特派員を送っていましたが、全くそのような報道はされませんでした。
また当時の南京の人口は20万人でありながら、何故か30万人が殺害されたとされていて、しかも南京陥落後、南京の人口が増えてあるという記録が残っています。
30万人が殺害された、凄惨で不衛生な土地に、今まで避難していた人達が戻ってくるでしょうか?
その後、現在に至るまで、南京市で大量の遺骨なども発見されていません。
この30万人という人数、どこかで見た様な人数です。そう広島・長崎に落とされた原爆による被曝直後の被災者の合計に近い人数なのです。
もともとは連合軍が、原爆投下の正当性を示すためのものだったのではないでしょうか。
そして東京裁判(極東国際軍事裁判)で初めて、この事件について言及され、しかも観察側の証言のみが採用され、弁護側の証拠などは却下されています。
また検察側の証人で殺害を目撃したのは、たったの一件だけで、歩哨を呼び止めた際に逃げた者を撃った(戦時中においては合法)というものだけです。
しかも虐殺の仕方が、通州事件で行われたやり方ばかりです。
もともと蒋介石率いる、国民党軍は全く統制がとれていない、いわばチンピラの集まりの様なもので、移動した先々で、金品の強奪・陵辱・強姦・殺害の限りを尽くし、自分達が逃げるためなら民間人を盾にする、便意兵として民間人に紛れこみ、攻撃をするなど平気で行なっています、その為、彼等は民間人を戮民と呼んでいました。
これらは、敗戦後日本が台湾を去った後、蒋介石の国民党軍が入り込み、その際に台湾人が本土には原爆が落とされたが、台湾には蒋介石が落とされたと言った言葉に表されていると思います。
長くなりましたが、以下の回答が私が真実だと思う南京事件です。

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横尾 裕和

南京虐殺は5回あったことを中国人は知っていますか?
最初に私が認識している南京事件は4回で、そのいずれも日本人による民間人の虐殺はないと認識しています。
第一次南京事件(1913年):辛亥革命により中華民国設立後、孫文からその地位を譲り受けた袁世凱が、自分の体制に反対する孫文派と対立して、自分の部下である張勲を乱入させ、1ヶ月に渡り南京市民及び、外国人居留区で日本人を含む外国人に対しても虐殺・強姦・略奪を行なっています。
第二次南京事件(1927年):国民党軍総司令の蒋介石率いる北伐軍が南京城に入城し、反帝国主義を叫び外国人居留区に乱入し領事館や居留地を襲撃。各国の領事らに暴行・略奪・破壊の限りを尽くした事件です。この事件で日本人1名・英国人2名・米国人1名・イタリア人1名・フランス人1名・その他1名の死者と2名の行方不明者が出ています。
上記2つの事件に於いて、欧米諸国は即時軍を派兵させましたが、日本は中華民国との戦闘を避けるため軍事行動を起こしませんでした。
第三次南京事件(1937年):この前段階として、盧溝橋事件・大紅門事件・廊坊事件・広安門事件と数々の中華民国側からの挑発や騙し討ちなどを受け、更に人類史上最悪と言える、日本人居留民235人が筆舌し難い残虐なやり方で惨殺された通州事件があり、その後第二次上海事件へと続きます。そして上海を追われた国民党軍が逃げ込んだのが南京でした。ここでも国民党軍は、民間人に対し日本軍が攻めてくると喧伝し、この地に居座り虐殺・強姦・略奪を行なっています。
そして帝国陸軍(日本軍)が南京に到着した際に、城内の民間人の避難や、国民党への和平と降伏の呼びかけの為に、降伏勧告を行い南京城内に、飛行機にて和平開場勧告文のビラを撒きました。それでも反応がなかった為総攻撃を行い、南京城は陥落し、南京城内へ入城しました。そして城内の治安が回復したのです。
これを彼等側の歴史では、日本軍による南京大虐殺と捏造して国内外に発信しているのです。
第四次上海事件(1949年):日本軍の南京城入城により治安が回復し保たれていた南京市でしたが、大東亜戦争中、国共合作により手を組んでいた国民党軍と共産党軍でしたが、戦後再び内戦を始めました。それまで国民党軍は欧米から軍事物資の提供を受けていましたが、それを打ち切られ、代わりにソ連により満洲の侵攻により日本軍から奪った武器・弾薬を共産党軍へ供給を行なわれた為、戦力差は歴然となり国民党軍は南京へと逃げ込みました。それを追って毛沢東率いる共産党軍が南京城へと入城しました。
その地で経済活動を行なっている資産家などは、共産主義の敵です。そして共産党軍による虐殺が始まりました。この時の死傷者の数は10万人とも15万人とも言われています。
彼等が私の知る南京事件です。認識の違いがあるのかもしれませんが。
本題に戻ります。多くの中国人は捏造である日本人による南京大虐殺しか知らないと思います。中国の歴史観(中華民国・中華人民共和国含む)はプロパガンダであり、満洲事変から支那事変へと続く歴史全てが日本による侵略であると、国内外へと発信して、反日プロパガンダを続けています。おそらく盧溝橋事件から支那事変へと続く内容も教えてはいないであろうし、通州事件なども絶対に教えない。もしかすると、義和団事件なども都合の良いように解釈して教えているのではないでしょうか。
GHQによる言論統制がいまだに続く日本においても、同じ事が言えると思いますが。

2022.9.29
posted by 幕張のおじちゃん at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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