つげ義春さんに特別栄誉賞
仏アングレーム漫画祭 原田さんのFB投稿より
【パリ=共同】欧州最大規模の漫画の祭典、第47回アングレーム国際漫画祭の授賞式が1日、フランス南西部アングレームで開かれ、「ねじ式」や「無能の人」などの作品で知られるつげ義春さん(82)が特別栄誉賞を受賞した。
漫画祭のツイッターによると、つげさんは授賞式で会場総立ちの拍手を受け「大変光栄です」とあいさつした。漫画祭ではつげ作品の展覧会が開かれ、フランスの映画刷新運動ヌーベルバーグをけん引したジャンリュック・ゴダール監督になぞらえ「漫画界のゴダール」と紹介された。
つげさんは東京生まれで、1950年代に漫画家としてデビュー。60年代半ばから「月刊漫画ガロ」で発表した作品が人気を集め、芸術性が高く評価された。「ねじ式」(68年)や「無能の人」(85年)は映画化され、フランス語の翻訳も出版されている。
1月30日から2日まで開かれた今回の漫画祭では、田辺剛さんの「時を超える影 ラヴクラフト傑作集」が「連続作品賞」を、東村アキコさんの「雪花の虎」第4巻が「ヤングアダルト賞」をそれぞれ受賞。木城ゆきとさんのSF作品「銃夢」の展覧会なども開かれた。
八千代にある大学の教員をやっている原田さんがFBに非常に興味のある投稿をしております。
なんと、つげ義春さんと原田さんのお父さんの絡み。
すげえ。
以下、原田さんの記述。
つげ義春さん特別栄誉賞おめでとうございます。
大学の図書館で研究の合間(現実逃避ともいう)に何気なく手にした「貧困旅行記」。つげさんが都会の喧騒に疲れて山梨県の山村を訪ね、民宿で相部屋にされた男との会話を記した紀行文。私が手にしたのは発行から15年くらい経っていました。
相部屋になった背広の男はお墓掃除のためにやってきたそうですが、朝、つげさんを送ってあげようと赤い車のエンジンをかけて待っている。
つげさんと相部屋になったのは私の父でした。
人に親切なことは良い事だけど、そのために他の人に話を聞けず、行きたいところに行けなかったつげさん。本当にどうもすみません。
土建屋風なのは千葉県企業庁の作業着、赤い車の車種はいすゞ117クーペ、各地の都市開発について持論を語るのは、各地の都市開発を見てまわっていたから。そういえば瀬戸大橋とかも見てきたと言っていたっけ。
当時中学生くらいだった私は、わずかに会話を聞いた憶えがある。「掃除用に作業服を持っていく。1人で泊まると、怪しまれて泊めてもらえないかもしれないから背広も持っていく。」
この後、背広姿の1人客としてつげさんの作品に登場する。
家族で「つげさん本当に良く見てる。特徴をとらえている(笑」と、大笑いした出来事でしたが、この話をあまりしないのは、父から「文章中、一般論として村おこしがなかなかうまくいかないことや、だからといって都会の業者に頼んでしまってもなかなかうまくいかないということを、そこに居ない者が語るのは、もしかしたら良い思いをしない人もいるかもしれない。その土地で頑張っている者に対して、充分に心情を考えたほうがいいだろう」と言われていたからです。
当時30代だった私は、作品を偶然見つけたことで嬉しくなりましたが、確かに考えが浅はかだなと思いました。
その後、つげさんに手紙を書いたところ、丁寧に返信をくれました。
「驚きました。お父様はお元気でしょうか。お互い素性を語らず別れましたので、失礼はありませんでしたか。あの時は妻を亡くして何もやる気が出ずにいました」というような、つげさんの気遣いや当時の心情が綴られておりました。
以上、原田さん記。
2020.2.3
仏アングレーム漫画祭 原田さんのFB投稿より

漫画祭のツイッターによると、つげさんは授賞式で会場総立ちの拍手を受け「大変光栄です」とあいさつした。漫画祭ではつげ作品の展覧会が開かれ、フランスの映画刷新運動ヌーベルバーグをけん引したジャンリュック・ゴダール監督になぞらえ「漫画界のゴダール」と紹介された。
つげさんは東京生まれで、1950年代に漫画家としてデビュー。60年代半ばから「月刊漫画ガロ」で発表した作品が人気を集め、芸術性が高く評価された。「ねじ式」(68年)や「無能の人」(85年)は映画化され、フランス語の翻訳も出版されている。
1月30日から2日まで開かれた今回の漫画祭では、田辺剛さんの「時を超える影 ラヴクラフト傑作集」が「連続作品賞」を、東村アキコさんの「雪花の虎」第4巻が「ヤングアダルト賞」をそれぞれ受賞。木城ゆきとさんのSF作品「銃夢」の展覧会なども開かれた。
八千代にある大学の教員をやっている原田さんがFBに非常に興味のある投稿をしております。
なんと、つげ義春さんと原田さんのお父さんの絡み。
すげえ。
以下、原田さんの記述。
つげ義春さん特別栄誉賞おめでとうございます。
大学の図書館で研究の合間(現実逃避ともいう)に何気なく手にした「貧困旅行記」。つげさんが都会の喧騒に疲れて山梨県の山村を訪ね、民宿で相部屋にされた男との会話を記した紀行文。私が手にしたのは発行から15年くらい経っていました。
相部屋になった背広の男はお墓掃除のためにやってきたそうですが、朝、つげさんを送ってあげようと赤い車のエンジンをかけて待っている。
つげさんと相部屋になったのは私の父でした。
人に親切なことは良い事だけど、そのために他の人に話を聞けず、行きたいところに行けなかったつげさん。本当にどうもすみません。
土建屋風なのは千葉県企業庁の作業着、赤い車の車種はいすゞ117クーペ、各地の都市開発について持論を語るのは、各地の都市開発を見てまわっていたから。そういえば瀬戸大橋とかも見てきたと言っていたっけ。
当時中学生くらいだった私は、わずかに会話を聞いた憶えがある。「掃除用に作業服を持っていく。1人で泊まると、怪しまれて泊めてもらえないかもしれないから背広も持っていく。」
この後、背広姿の1人客としてつげさんの作品に登場する。
家族で「つげさん本当に良く見てる。特徴をとらえている(笑」と、大笑いした出来事でしたが、この話をあまりしないのは、父から「文章中、一般論として村おこしがなかなかうまくいかないことや、だからといって都会の業者に頼んでしまってもなかなかうまくいかないということを、そこに居ない者が語るのは、もしかしたら良い思いをしない人もいるかもしれない。その土地で頑張っている者に対して、充分に心情を考えたほうがいいだろう」と言われていたからです。
当時30代だった私は、作品を偶然見つけたことで嬉しくなりましたが、確かに考えが浅はかだなと思いました。
その後、つげさんに手紙を書いたところ、丁寧に返信をくれました。
「驚きました。お父様はお元気でしょうか。お互い素性を語らず別れましたので、失礼はありませんでしたか。あの時は妻を亡くして何もやる気が出ずにいました」というような、つげさんの気遣いや当時の心情が綴られておりました。
以上、原田さん記。
2020.2.3